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課題を書かない小説家志望の子たちは、コンテンツの着想や言葉とは自分の「中」にあるものだ、と考えているようだ。それを自分のなかから掘り出すために外部刺戟を遮断しているように見える。先人の書いたいろんな小説を読んでガツンとやられてる暇なんかないようだ。
いっぽう課題を出してくる学生たちにとっては逆に、コンテンツの着想や言葉は自分の「外」にあると感じられている。
授業で取り上げるから、というだけの偶然で出会った本。それがどのように書かれているか、その仕組みを感知し分析するなかから、それまでの自分になかった技法やネタを見つける。またその過程自体をエッセイやコラムに仕立てることで、本という「他人の言葉」との事故のような出会いを「コンテンツ」の形にまで持っていく。
人によっては、「どこからこういう文章が出てくるのだろう」と感心させられることもあり、そうなればある意味その学生は私という固定読者を得たようなものである。
(中略)
言葉ってものが自分のものではなく他人のものを借りて使ってるんだ、ということがわかってる人は、ひとりひとり個性的で美しい。
「自分にはかけがえのない個性がある」と思ってる人は、全員同じ顔してます。区別がつきません。
俳句って字数制限キツイし季語とか切れとか定型とかルールがキツイんだからただでさえ個性なんて出ない、まして先人の句を意識してたらなおさら……と考えている人も多いようですが、それは話が逆で、俳句の定型や切れや季語って、全員に制服を着せたらかわいい子とそうじゃない子が残酷なくらいはっきりわかっちゃう、というような意味であなたの言語センスが測られるのです。
しかも測るモノサシはひとつだけじゃない。『アンナ・カレーニナ』冒頭の一文をもじっていうならば、
「ダメな句は全部似ているが、いい句はそのよさが一句一句違っている」。
Vol.47 人の作品を読まない人の作品が、みんな似ている理由 コンテンツの着想や言葉は自分の「中」にあるのか「外」にあるのか

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課題を書かない小説家志望の子たちは、コンテンツの着想や言葉とは自分の「中」にあるものだ、と考えているようだ。それを自分のなかから掘り出すために外部刺戟を遮断しているように見える。先人の書いたいろんな小説を読んでガツンとやられてる暇なんかないようだ。

いっぽう課題を出してくる学生たちにとっては逆に、コンテンツの着想や言葉は自分の「外」にあると感じられている。

授業で取り上げるから、というだけの偶然で出会った本。それがどのように書かれているか、その仕組みを感知し分析するなかから、それまでの自分になかった技法やネタを見つける。またその過程自体をエッセイやコラムに仕立てることで、本という「他人の言葉」との事故のような出会いを「コンテンツ」の形にまで持っていく。

人によっては、「どこからこういう文章が出てくるのだろう」と感心させられることもあり、そうなればある意味その学生は私という固定読者を得たようなものである。

(中略)

言葉ってものが自分のものではなく他人のものを借りて使ってるんだ、ということがわかってる人は、ひとりひとり個性的で美しい。

「自分にはかけがえのない個性がある」と思ってる人は、全員同じ顔してます。区別がつきません。

俳句って字数制限キツイし季語とか切れとか定型とかルールがキツイんだからただでさえ個性なんて出ない、まして先人の句を意識してたらなおさら……と考えている人も多いようですが、それは話が逆で、俳句の定型や切れや季語って、全員に制服を着せたらかわいい子とそうじゃない子が残酷なくらいはっきりわかっちゃう、というような意味であなたの言語センスが測られるのです。

しかも測るモノサシはひとつだけじゃない。『アンナ・カレーニナ』冒頭の一文をもじっていうならば、

「ダメな句は全部似ているが、いい句はそのよさが一句一句違っている」。

Vol.47 人の作品を読まない人の作品が、みんな似ている理由 コンテンツの着想や言葉は自分の「中」にあるのか「外」にあるのか